場所

研究するために海外へ行くことの是非は私の中で定まった答えが出ていない.おそらく「海外へ行くということは飛行機に乗ることが必須なので怖いからいや」という強固な理由が潜在的に横たわっていると思われるがそれ言い出したら話終わっちゃうので考えないことにする.
あるところで「やっぱふつう海外行くっしょ」という意見を目にしたが,個人的には英語に触れる時間が長くなるという理由以外に確固たる利点が思いつかない.そういう人は,「やっぱ東大っしょ」と言って旧帝大に行き,行ったら行ったで「やっぱHarvardっしょ」といって亜米利加の大学を望み,結局は「やっぱ日本でいいとこ就職っしょ」となって帰ってくるんだろと思ってしまう.環境がどうなろうと,場所がどの国になろうと,結局のところ,俺は俺だし,お前はお前だろう.今の自分の目の前の状況も打破できずに,見かけで,ネームバリューで,環境ばかり変えたがる有様はさながら一昔前に流行った自分探し症候群の若者達のようにも見えてしまう.
TBH風に言えば「何度だって言ってやる,西は西だ」
「生まれた国や,住んでる街や,コネが勝敗を分けることは何度もあるだろう.だがな,覚えとけ俺達は,西の片隅で,仲間を集めて,愚痴を並べて,そんな身の上を酒で流すような真似はしない.西の本物は,言い訳や,負け惜しみをこらえてやるべきことをやるんだよ」
「その程度でインタビュアー相手に何を語るか,靴の底に入りこんだ小石程の奴が」
こんな風に言えるようになりたい.
マスもセルアウトもコアもアンダーグラウンドも関係ない.面白い研究は勝つ.それを作り出すのにどの大学だとかどの国だとかがそんなに重要だろうか?確かに資本や機材,もちろん自分を取り巻く人材も全てが重要だ.けどこれは単に制作を楽にするものに過ぎない.深い闇の底から突然現れるかのようなアイデアをもとにリリックを書く.この過程は2000年前から何も変わらない.どこにいようが誰といようが決して変わらない.
そしてこれは今の自分自身に一番言い聞かせてやりたい.