明日は(他人の)バトルデー

私も何度か経験した修論中間発表会である.私は恐らく司会業に従事することになるだろうから,初めてこの会をメタなポジション(中太郎先生ごめんなさい)で観察することになる.去年も一昨年も見る機会はあっただろと思われるかもしれないが,私は実はこれまでこの会に出席したことが皆無で,自分の発表のときも,自分の番が回ってくる直前で入場していた(事前に発表時間が公開されていたため・・・).いや,これは非常にまずいことだったのだろうけど,今度の会からはどんどん参加します.まじでします.

他大学の同様の会,および何年か前のこの会の話を聞く限り,現在の形式は非常に楽勝であると思われる.むしろ10分という時間制限がきつすぎて,内容をつめてまとめる方が大変という始末である.聴衆からの質問はなぜか暗黙の了解的に先生からのみと制限されており,しかもNKMZ先生がご退官なさった今,我々の分野は専門の先生が少なすぎる.つまり,専門的な質問は自分の教官(教員)からのみということになってしまっている.つまり,楽勝である.

たとえ自分の発表内容がどんな腐れへぼだろうが,プレゼンテーションは自信を持つことが重要だと思う.2005年度のとある学会で,私はたぐいまれな詭弁発表と事前に分かりきっているポスター発表の際に醜く逃げ回った.あれはほんとにトラウマティークである..もうあんなん嫌だ.根拠が無くとも自信満々で喋れば,相手はひとまず圧倒される.疑問の余地を与えないことだ.自信が無ければ相手の意のままになってしまう.そう,発表は額縁を外す戦いだ.およそ発表は正を似て合し、奇を似て勝つ.すなわち基本は正攻法で構え,状況に応じて臨機応変に(孫子によれば「流れる水のごとく」)相手の意図しない方法を用いることで勝利する.そのためにはどうすればよいのか.

プレゼンテーションでは,発表内容を文章化してはならない.それをどんなに記憶していようと,頭の中の文章を読み上げるような喋り方になってしまい(さらに書き言葉と話し言葉は大きく異なる.文章化すると知らず知らずのうちに書き言葉になる),これではただの音読である.それを聞かされると聴衆は眠る.しかも下手に覚えてしまっているためにそれに固執してしまい臨機応変に対応することができない.これでは額縁は外せない.ひとまず,発表内容は文章ではなく各ポイントとその順序・構成だけを熟知することに勤め,後はとにかく押すことである.しかし押すだけではいけない.相手も押してくる場合があるためである.この場合,正面からぶつかると自力の差で決着がついてしまう.これはいけない.私がこれまでに行った最大の奇策は,まず押し,相手が押し返してきたところで今度は逆にそれを全面的に受け入れ,一旦引く.その後,別の聴衆に話を振り,しかしその時にわざと最初の質問者と同じ立場で振舞う.そして気付けばなぜか最初と二番目の質問者同士で議論しあうという異例の事態に誘導することに成功できた.こうなればもう見ているだけでいい.聴衆も妙な事になっているので面白く感じる.そして最後に私が,「いやあ,どちらの説もありえると思います.今回のお話を参考に研究を進めていきたいと思います」と〆るだけでいい.しかしこんなことは所詮,昼間の発表だ.“遊び”なんだよ.博奕じゃねえ.研究者はたった一枚のスライドにすら命を張るもんなんや!!!「昨日徹夜で準備を・・・」だと?発表に私情を持ち込む奴は勝負に対して降りたのと同じだ.この世で信じていいのはてめえの力だけだろうが!!

ま,まあ,とにかく,尊敬する師父であるMZD総大将の教え「発表者はエンターテイナーたれ」が発表の極意を端的に表している.これを心がけておけばなんとかなるだろう.明日は何人のエンターテイナーに出会えるかな.


てか,こんな時間になってしまた.明日早いのに...考えられる最悪の結果だけはなんとしても避けたい.それだけはだめだ.でも超やばい気がする.もう寝る.いや寝なければならない.





戦略と謀略―正をもって合し,奇をもって勝つ

戦略と謀略―正をもって合し,奇をもって勝つ