武士道など明治以前には無かった

というまさに驚くべき事実を知った.
http://www.hatena.ne.jp/./1122506467
どうやら新渡戸稲造らを始めとする,とあるブームの中で沸き起こったものが「武士道」だったらしい.気になるのは「葉隠」の存在だが,この書は1716年に田代陣基によって成立したにも関わらず,佐賀藩内では禁書の扱いを受けていた.一般に広まるのは明治中期頃かららしいので,「葉隠」に論じられている考えが一般的ではなかったことがわかるし,江戸時代から武士たちが「武士道とは死ぬことと見つけたり」などといってはいなかったということもわかる.

ともすれば昨今のブームにより,「かっこいい」等の理由でサムライ(なぜカタカナ表記なのか.侍とは異質なものを指すことになるのだが..)という言葉が随所で見られるようになったが,その起源はこれまた明治期のブームだったということになる.つまり,ありもしないものを「そうした理想があった」ということだけで,まるで実在したかのようにありありと思い描いていることになる.となると,私がふと思った疑問であるカタカナの「サムライ」というのは,幻想世界における「武士道」をもった人間という意味で,実際の侍とは区別されてるのか,なーんだそうなんだねと納得した次第でござる.

そういやラストサムライは明治期の話だ.つまり,あそこで語られる「武士道」とは,ちょうどあの時期に創出されたはずなので,ラストサムライは同時にファーストサムライでもあったわけだ.


この件に関して,とくにこの論文は素晴らしい.紀要にはもったいない..

「明治期日本における武士道の創出 鈴木康史」
http://www.taiiku.tsukuba.ac.jp/inst-hss/bulletin24pdf/47-56.pdf

史学的には武士道が近代に入って創出されたことは当然のコンセンサスだったのだろう.しかし,こういうものこそ世間に大きく公開してほしい気がする.衝撃度は物凄いはずだ.まあwebで無制限に落とせるので公開してることにはなるか...

あと,この件はあくまで日本独自の精神的伝統としての「武士道」に関するものです.武士としての理念などが法的枠組として御成敗式目などから脈々と戒められてきているのは確かです.



[補足]
誤解を与える書き方をした部分もあるので追記しておくと,私は武士道という言葉が登場するまでは,武士たちがスッカラカンで何も考えていなかったなどとは当然思いません.しかしながら,武士道の「道」とは道義であり,共有された理念であることが前提のはずで,その点に関して,武士道という象徴的な対象が登場することで果たした役割は大きいと思います.すなわち,武士道という言葉が創出されることでその概念の共有に成功したのではないかと思います(新渡戸氏が言い出したときにはもう武士はいませんでしたが・・・;あと,以前には「士道」があったという話もありますが).当然,それ以前にも武士たちは各自いろいろと己の考えを持っていたはずですが,それを「道」と呼ぶのは躊躇われます.あくまで個人的に.それにしても,この問題をここまで考えることになるとは...良い機会をありがとう.